2015年01月30日

足りないところはありますが

のび太の高校生活も終わりに近づいてきました。
作業時に使う服や長靴、実験用の白衣など、「もう使わないと思うから」と持ち帰ってきました。

母子二人でほぼ全回通った高校の入試説明会。「ここに入れてもらえるならPTA会長でも何でもやるって言おうかな」と思ったくらい気に入って、でも「成績的に無理かな?」と落ち込んだり、あきらめかけたり・・・。

最後の最後、公立高校の教師である友人の言葉に、ダメもとで推薦入試をお願いしたら、何とか合格できたときの喜び。

のび太の嬉しそうな顔。

中学の卒業式の親への手紙にも「○○高校に行かせてくれてありがとう」と書いてあったっけ。

思い出しても涙が出てきます。

結局、高校時代の友人とは私は一度も会えず。(つまり家に遊びに来た友人はゼロ)
休みの日も遊びに行くことはなかったし、帰りも時間からすると、毎日寄り道もせずまっすぐ帰ってきてたけど。

学校ではそれなりに話せる友もいたみたい。

今も中学時代の友人(向こうから声かけてくれるばっかりですが)と帰りの電車で出会い、面白いPCソフトのことなど教えてもらったりしているみたいです。

先日、両親の病院に出かける直前に、のび太の部屋の洗濯物用のハンガーを取りに行ったとき、ちょうどその日が締め切りの大学の課題レポートが目に入りました。

推薦入試関係で合格した生徒用の、事前指導の一環のようです。

メールで送るようになっています。

大学からは課題のために必要なので、スマホかパソコンが今後必要だと言われ、先日重い腰を上げ、何とかタブレットをのび太用と夫&私用に契約しました。(契約にものび太は来ず、夫婦で選びました)

それにしても、メールの送り方についても尋ねられていないし、自分で出せるはずない!
これまでガラケーしか使ったことのないのび太。学校ではパソコンの授業があったみたいだけど、新しいタブレットでメール出す、なんてのび太には無理!(youはこういうのは得意で、スマホもどんどん新しい機能を取り入れて使っています)

焦りましたが、のび太は学校にいるし、帰宅したら真っ先に訊こうと思っていたのに、シングルタスクの哀しさ、母の診察、ホームでの担当者とのお話、母への説明、父の病院、妹への報告・・・で高速に乗って帰ってきたら、もう8時過ぎ。ヘロヘロに疲れて、帰ったとたんエネルギーゼロに。

気が付いたら真夜中です。

出していなかったとしたら、もう期限は過ぎてしまった!

今更のび太を起こしても仕方がないし、最後の定期考査中だし、明日の朝何でもないようにさらっと訊いてみよう、と私も眠りにつきました。

結局あくる朝、「大学の授業時に説明されたページにアクセスし、一日でやりあげて、数日前に送ったよ」と涼しい顔で言われました。

私もいかにも何とも思っていないように「大学から渡されてた課題って昨日までやったけど、もう出してた?」と軽い感じで訊いてよかったです。

夫に話したら、「もうのび太はある程度のことはやれるから、信じてやってもいいんちゃう?」と言われました。

反省、反省です。

大学生になったら、もうどんな課題があるのかもわからない。

第一、高校でもうその部分はクリアできるようになったんじゃないか。

私自身が早く子離れしなきゃ。

自分が情けなかったのと同時に、のび太の成長に喜びと一抹の寂しさを感じました。

でも、最後の定期考査の最終日。
2時間目から始まるというので、ゆっくり2階からおりてきました。

何時に高校の最寄り駅に着けばいいのか訊くと、試験の開始時刻もわかっていないようです。

2時間目だから、普段の1時間後に出ればいい、というなんともアバウトな話。

本数も少ない路線で、乗り換えもあり、連絡が悪ければ20分ほども待たされるんだから、ホームページでダイヤを調べなきゃ!

始まる時間だって、テストは50分、って決まってるの?2時間目だから1時間遅らせるって、単純計算すぎると思うよ・・・。

以前はヒステリックに怒鳴ってたけど、今は冷静に淡々と言うようにしています。

パソコンでダイヤを調べ、駅まで車で送って行ったけど、間に合ったかな・・・。

ここまで遅刻ゼロで頑張ったっていうのに、そういうところには全くコダワリなし。

出来るようになったところ、まだまだ危ういところ、

それでもやっぱり成長は感じられます。

少しずつ、手を放していかなきゃね。

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posted by みずき at 13:08| Comment(8) | 「苦手」はいっぱいあるけれど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月15日

コミュニケーションを阻むもの

最近驚いたこと。

youと雑談していた時・・・

「のび太って最近毎日遅いけどさあ、ホントにクラブかなあ」

「う〜ん、知らんけど・・・」

中学の時さあ、卓球部行ってると思ったら、他の子のお母さんから『のび太くん全く来てないらしいよ』って言われたやんか。今毎日のように遅いけど、ほんまにクラブかなあ。この間聞いてみたけど、あんまり活動内容はっきり言わへんかったし。『一生懸命研究してる人と、雑談してる人がある』って言ってたけど、そのどっちでもないような気がするねんなあ。ただサボってるだけなら、そういうゆるいクラブみたいやから別にいいねんけど、なんかやりたくないことにつき合わされてるとか、そういうの聞いてない?」

のび太は案外youに本音を言っていることがあります。
私に対する本音や苦情も、youから聞いて「ああ、こんなふうに思ってたんだ」と新たな発見をすることがあります。

「これ、絶対のび太に言ったらあかんで。卓球部の時さあ、のび太、クラブ行くフリして、隣の家との境目の通路でずっと時間つぶしてたんやって」

ええええ〜っ!

隣の家との通路って、片側はまあまあ空いているけれど、そちらではなく、南側に超接近して建った家との間だといいます。

まさに隙間。

それも夏休みのことだとか。蚊が多い地域なので、地獄だっただろうな。

今なら自転車でそこそこ出かけるようになったけれど、中学時代は学校と塾以外はほとんど1人で出かけていなかったから、時間をつぶす場所を思いつかなかったのでしょう。

それにしても・・・ふらふら

中学校時代に入っていた卓球部は、顧問も入っている子も皆熱心で、私は「この子も案外やればできるかも」(中学入学時には特に大きな発達の問題を感じていませんでした)と少々期待していて・・・。

でも、そんな生易しいものではありませんでした。

「中学校になったら、運動部に入ってほしい」私のヘンな思い入れがあったんです。
無理やり1年半ほどさせた少年野球でも人一倍運動機能が低いことはわかっていたはずなのに・・・。

何部にする?と聞いたら、唯一他の子よりも少し得意だった卓球を選んだだけ。

これは、運動オンチの私が唯一やっていた運動系のクラブ種目で、家にミニ卓球台を買って、家族でやったりしていたんです。

それで、小学校の時、少しは他の子よりできたと。

しかし、少々荒れ気味で、部活動で生徒たちを学校に向かせている感のある中学校の中で、この卓球部は一番ハードだったのです。

4月に入部した子達が次々辞めていく中、のび太はなぜか一度も辞めたいとは言いませんでした。

能天気で発達の問題に深刻には気づいていなかった私は「それなりにやってるんだろう」と思っていたのです。

たまに話したクラブのことと言えば、

ものすごく頑張って熱心な子が何人かいる。

僕は試合になんか絶対出たくない。普通に練習するだけでいい。

でも、先生もみんなも「目指せ全国大会」とか言ってる。


明らかに周囲の子達から浮いているんだろうなあとは感じました。

「どうする?あんまりみんなと気持ちが違いすぎてしんどいなら、辞める?先生に相談してみたら?」

とは言ってみましたが、正直自分としては本当は続けてほしいという思いがありました。

少年野球の経験で、素晴らしい指導者やチームメイトに恵まれ、野球の技術はさっぱりだめなままだったけれど、プラスになったことは多い、と思っていたからです。

本人の望むとおり、試合にはきっと出られないだろう。上手い子がいっぱいいるんだから。

それでも続けていれば、苦手な対人関係や運動能力にも少しはプラスになることもあるかもしれない。

クラブ辞めて家にいたとしても、どうせ昼過ぎまで寝て、起きてもゲームばっかりしてるんだから、それに比べればずっといい。


思えば、のび太はこの私の「辞めてもいいよ」といいつつ、続けるのを願っている気持ちを察していたのかもしれない。(気持ちには敏感です)

それと、「先生に相談」が面倒だったのかも。いやきっとこれが大きいんだろうな・・・。

自分からお忙しい先生に声をかけて、時間を作ってもらって、辞める話をする、「断りベタ」な私もこのあたりの苦手感はわかります。

で、その後、様々な方面(主にある部員のお母さん)から部活に出ていないことが発覚し・・・(顧問の先生は「アスリートタイプ」で、あまり練習に出ない子に声をかけて来させるというより、熱心な子をしっかり指導して伸ばす方だったので、一度も電話がかかったりすることはありませんでした)

1年生の1月、まだグズグズとはっきりしないのび太に、「あと一週間だけとりあえず最終まで頑張って出てごらん。それで、もう少し頑張って続けてみようと思えば続けたらいいし、そう思えないなら、しっかり顧問の先生に話して、退部手続きをとったほうがいいよ」と話しました。

そう、もうこの頃には、その同級生のお母さんからは完全に私たち親子ともどもは呆れられ、さすがに私ももう無理だ、他の生徒さんにも、顧問の先生にも申し訳なさ過ぎる、と思えるようになっていたのでした。

その頃には部員の数も精選されていった結果か、試合に出られるギリギリの人数になっており、いくらなんでも人数の問題だけでのび太を試合に出すなんてことになったら、とんでもないことでした。

練習もなぜか早めに抜け出し、中学校の近くの公園で時間をつぶして帰ってきていた、というのは本人から当時聞いていましたが、まさか家の通路で時間をつぶしていた時期があったとは・・・。

のび太は「交渉」ができません。

言葉も言われた通り受け取るので、よく「〜だったら、もう辞めてしまいなさい」なんていう話をした時、定型発達の子であれば

「次から〜するから、あと一回チャンスをちょうだい」

なんて言えると思います。

まあ、もともと辞めたい場合は交渉する必要はないわけですが、のび太の場合、おそらく好きで続けたいことの場合にも、「辞めてしまいなさい」と言われれば「ああ、辞めなきゃいけないんだ」と思ってしまうのです。

これは以前、芸術の先生に「これが出ていないから、成績は『1』がつきます」と言われたときも同じ。

定型発達の子であれば「すみません、今からすぐ出せば大丈夫ですか?明日持ってきますから、お願いします」と言えるんでしょうけれど、のび太は「ああ、今回は『1』がつくんだ」と思っただけだったらしく、担当の先生には「やる気が無い」ととられてしまったのです。

こういうやりとりはおそらく社会に出れば日常茶飯事でしょう。

「こう言ってても、それは本当はこうしてほしい、ということなんよ」

と教えていかなければいけないんですね。

そうそう、youからこんなことも聞きました。

「高校に合格した時、お母さんが何回も『本当?』って聞いてた。なかなか信用してもらわれへんかった」

と言ってたそう。

これは発表当日、私が介護のために実家に行っていて、帰宅したのび太にどうだったか電話で訊いた時のこと。

いつもの小さいボソボソと言う声と、内容がはっきりしなかったこともあったけれど、どちらかというと嬉しさで発した「本当?」という言葉か、字義通り、疑っているととられていたとは・・・。

これは、本人に後日「思い出話」としてついでみたいに話しておきました。

「本当?」っていうのは、相手を信じていないから言ってるんじゃなくて「すっごく嬉しい!」という時にも使うんだよ、と。

こういうコミュニケーション上のズレが不信感や自己否定感につながったりしていくのでしょうね。

恋愛の場面なんか、もっともっと高度だもんなあ。

我が家では映画やドラマを一緒に見ながら、心理を言葉にして解説したりもしていますが・・・難しいですねもうやだ〜(悲しい顔)



最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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posted by みずき at 13:26| Comment(2) | 「苦手」はいっぱいあるけれど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月09日

ドアをひらいて

昨日の模試。

まあ、無事に会場まで行って帰ってこれました。
これでものび太にしたら、大変な進歩。

でも、最近の自分の反省としては、やはり心配と過保護が先立って、体験させていなかったことが多過ぎるということ・・・。

この模試の会場に行くのは今回が3度目。

1回目は本人の準備が遅れすぎ、模試自体にも慣れておらず、半ばパニック状態だったので、結局私が車で近くまで送っていってしまいました。

帰りには以前に書きましたが、まずは全く関係ない方面への電車に乗り、(大きなターミナル駅近くの会場で、ホームが5箇所ほどにあり、本人はホームによって行く場所が全く違うということを知りませんでした!ふらふら)かなり先まで行ったところでさすがにおかしいと思ったらしく、もとの駅まで引き返し、次はホームは正解だったのに、特急に乗ってしまい、小さな最寄り駅をすっ飛ばしてまたもやとんでもないところまで行って帰ってきた・・・ということがありました。

2回目も準備が遅く、結局近所まで送っていきましたが、スムーズに帰ってこれました。

今回も準備は相変わらず遅かったため、最寄駅まで送って行ったものの、あとは自分で行って帰って来れました。

つまりは、経験すれば失敗しながらも進歩していくのに、私が「これはのび太にはまだ無理だろう」と勝手に思い込んで経験すらさせていないことが多過ぎたということです。

赤ちゃんの頃は泣いてばかりで、聴覚過敏のためか人ごみを嫌がったため、外出はほとんど車でした。

ベビーカー時代には、全くと言っていいほどベビーカーには乗ってくれず、身をよじって私の方に手を伸ばして泣き叫ぶため、ちょっとしたお出かけも買い物もずっと抱っこばかりで、移動にはやはり車を使っていました。(なぜか、チャイルドシートだけは大丈夫でした)

思えば、(両親が天涯孤独同士のため)数少ない親戚とのお付き合いの場面にも、息子たちをあまり連れていっていません。

二人とも家ではよくしゃべるものの、外では全くしゃべれないので、親戚の中には本気で心配してくださる方がいたりして(今から思えばその方の心配通りではあったのですが)だんだん連れていくのが辛くなってしまったのです。

叱りすぎていた時期には、「〜していると皆変に思いはるよ」などと言い過ぎて、社会に対して恐怖心を持たせてしまったのかもしれません。

こうして考えてみると、息子たちの世界へのドアや窓を狭くしてしまったのは、まさに自分だとつくづく思います。

そしてそのことで、息子たちは「失敗する権利」を奪われ、結果的に自信をつける機会を逸していたのだと。

また、社会の目を気にする私の思いが、息子たちを萎縮させ、人への信頼感を持てないようにしてしまったのだと。

のび太の入試が一段落付いたら、まずは電車であちこち出かけてみよう。

そして、できたら兄弟2人で小さな日帰り旅をさせるのもいいかな。

何だか10年以上も遅れた「はじめてのおつかい」みたいだけれど、そんなことからドアを開いていこうと思っているのでした。

そうそう、「人にたずねる」こともできるようにさせないとね。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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posted by みずき at 23:07| Comment(13) | 「苦手」はいっぱいあるけれど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする