2014年10月28日

まずはお礼まで・・・

先日の記事にたくさんのコメントをいただき、本当にありがとうございました。

お一人お一人の方にお返事をさせていただくのが少し遅れますが、まずは皆様に感謝の気持ちを伝えたくて、更新します。

ADD傾向のある私は、本当に笑ってしまうくらいのシングルタスクです。

ただ、「仕事」であったり、人との「約束」となると、過剰適応型(自分で勝手に名付けてますが)なので何とかやれるのです。

しかし、それ以外にも大切なことはいっぱいあります。

様々な手続きも、いただいた葉書等のお返事も、私の場合は「完全に忘れる」ということは少ないほうです。

ただ、やらなきゃ!と思うことや、調べてあの人に知らせたい、などと頭の中でひっきりなしに何かが「ひらめく」のです。

あまりに同時にいろいろなことがひらめくので、おそらく私のインターネットの検索履歴を見た方は、びっくりされることでしょう。

関連する分野ならまだしも、いったいどこからこれが・・・ということが、自分でも予測不能に次々浮かんできます。

この「ひらめき」がいいことにつながることもしばしばあります。

しかし、どちらかというとこの「脳内の多動」は問題を引き起こすことが多いです。

・好きなこと、得意なこと、興味をひかれることがついつい優先され「やらなければいけないけれど気が進まないこと、どちらかというと苦手なこと」に向かう時間が結果的に引き延ばされる。

・変に完璧主義なので例えばハガキの返事などの場合は、「あの人の趣味に合うものを買ってから」などと思っているうちに時間が経ち、却って書きづらくなってしまう。

・何かやっているうちに別のことが「ひらめく」ため、様々なことが中途半端になり、完遂できたということが少ない。

・優先順位を間違って、今やらなくていいようなことに没頭してしまい、結果的に遅刻したり、期限に間に合わなくなる。

何かができていないことをすっかり忘れているわけでないので、常に自己嫌悪を覚え、自己肯定感が下がります。

ブログも何度か書き始めては、中途半端になった記事は数知れず。
(「下書き」状態のものがいっぱいあります)

前回の記事を書いたとき、ブログをしばらくお休みしよう、という考えが沸き起こりました。

この「突然辞める」という「ひらめき」も私の中では起こりがちです。

そして発作的に行動を起こしてしまうのです。

のび太の進路決定の記事も、載せるべきか悩みました。

でも、この記事でブログを休むのなら、お伝えしなくてはと思ったのです。

しかし、ブログをアップする前に、その「ご挨拶」を私はやっぱり消してしまいました。

このブログを書き始めたころのどん底の気持ち。

のび太との関係も(私の責任ですが)ひどいものでした。

しかし、そこから何とかここまでやれたのは、このブログを読んでくださる方がいたこと、これに尽きます。

多くの方のコメントに勇気をいただき、気持ちを立て直させていただいたり、多くの「気づき」をいただきました。仮にも人様に読んでいただくのだと意識することで、記事を書きながら事実を客観的に把握できたことも多かったです。

大袈裟ではなく、きっとこのブログを書かなければ、今の私たち親子はなかったと思います。

そのことを、前回のブログの多くの方のコメントが思い出させてくださいました。

のび太のこと、私のことを我がことのように思い、喜んでくださる方、また、この拙いブログを見捨てず読みに来てくださる多くの方、まさにその存在こそが、今の私たちを作ってくださったと思っています。

これからものび太やyouにとって、また私自身にとって、さまざまなハードルが現れると思います。

皆さんのお役にたてるような内容はあまりないかもしれませんが、今しばらくお付き合いください。

まずは、お礼まで・・・。

※のび太が先生からいらなくなったビオラの苗をたっぷりいただいてきて、家のプランターなどに植え付けてくれました。
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posted by みずき at 10:35| Comment(8) | 大人のADD傾向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

マイナスエネルギーを反省

先日「カリスマドッグトレーナー」のことでプラスエネルギーの大切さに気付いたにもかかわらず、ここ1週間ほど、とんでもないマイナスエネルギーに支配されておりました。

1月の阪神大震災から3月11日・・・気持ちの振れ幅が大きくなりすぎて、自分でもどうしようもありません。
このブログではADD関連を中心にと思っているし、それでなくとも長々書きすぎるきらいがあるのであまり書かないつもりですが・・・。

阪神大震災以降は、私ははっきり人生観が変わりました。親しい人の突然の死、卒業生に物資を届けに行った時に見た凄惨な風景。その後自ら命を絶ってしまった大学時代の先輩もいました。

3.11は自然災害の恐ろしさも大きいのですが、それと同時に「人災」の部分にこみあげる怒りのエネルギーが大きすぎるのです。

しかし、様々なテレビ番組などで、行動を通じて一歩、二歩と進みだしている方々を見て、自分の「ちっちゃさ」を痛感しました。

怒っている暇があったら、動け、ですよね。

この時期の精神状態からくる不安定さが、わかりやすくぶつけやすいところに出てしまいます。

それが、youの卒業式でした。

私のこのマイナスエネルギーが影響し、昨日はまたyouの体調不良(吐き気)につながってしまいました。

youは頑張っています。

卒業式も苦手な「大きい声での返事」があるのに、全くグチもこぼしません。

今日は担任の先生にサプライズで贈るものの買い物にも行くようです。

卒業式後の「打ち上げ」にも参加するつもりのようです。

のび太が全く参加しなかったと思われる部分にも、youは挑戦しています。

まあ、凸凹の内容が兄弟といっても違いますからね。

文句ばかり書いていた「目録」の筆書きも3枚目でなんとか成功(?)

でもどうも詳しく読んでいると「練習用」に3枚入っていたのではなくて、上下に何も書いていない奉書紙をつけて綴じるためのものだったみたいたらーっ(汗)

今日は夕方「予行」があります。

youの3年間の頑張りに応えるためにも、プラスエネルギーで頑張ります。

あんな記事に温かいコメントを下さった皆様、本当にありがとうございました。

また報告させていただきます。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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posted by みずき at 12:16| Comment(6) | 大人のADD傾向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月08日

私の記憶

最近気づいたこと。

私の記憶に残っているのは叱られたこと、うまくできなくて焦ったこと、後悔したこと、そんなことが圧倒的に多い。

頑張って意識して思い出そうとすれば、楽しかったことも浮かんでこないわけではないけれど、はっきりと分厚い白いカーテンで覆われてしまったように、まるで最初からなかったように、その時期の記憶が消し飛んだようになっているのです。

例えば幼稚園の頃の記憶。覚えているのは、ハイジのロッテンマイヤー先生のような厳しい先生の記憶。毎朝うたわされていた幼稚園の歌。公立の園のくじにはずれて、遠く離れた私立の園に通っていたということ。園の前にあった土手。そこから見えた高速道路(幼稚園の歌の歌詞にもあった)。

怖い先生に叱られることにビクビクしていたこと。
ある時、知能検査があって、なぜかそれからその先生の態度がころっと変わったこと。

わけのわからない絵(フェルトの台紙の上に毛糸をまるめたものなどを言われるがままに貼らされた)が展覧会に出品されて賞を取り、どこかで表彰されたこと。

この時の何とも苦く、納得できない思い・・・。

唯一楽しかったものとして覚えているのは、出席シール。

その月毎にかたつむりとか、ひまわりなどの決まったものを毎日貼って返してもらえました。

それを見るのが楽しみだった・・・。

その他の園での生活や行事の思い出は皆無です。

小学校低学年では、優しかった女性の先生。(今も年賀状を出しています)

その先生が何かを縫っていらっしゃった時、針の根元が先生の指に突き刺さった時の「プツッ」という音と、みるみるうちにまあるく盛り上がっていった血。

この先生には随分とほめていただいていたはずなのに、なぜか真っ先に思い出すのがこの音と血が盛り上がった映像。

母はこの当時の思い出話として「参観に行くと、みずきが先生の言いたいことを先回り、先回りして受け取り、先生の言葉をとるように授業中話していた」と繰り返し話していました。

誰かが間違った答えを言うと「それはこんなふうに考えたからだと思います」なんてわざわざ言っていたとか。

クラスの子には不快だったでしょうね。空気も読めていないし。

3,4年生では、今なら問題になりそうな、これまたベテランの男性の先生。いつも竹の棒を持っていて、何かやらかすと(忘れ物など)これでかなりきつく脳天をコツンとやられました。

私は叱られるということに恐怖を抱く子供でした。大人の要求することをすべて先読みして「絶対に叱られまい」とそればかり考えている子供でした。

その当時の私は「何がほしいの?」「どこに行きたい?」と聞かれても、きっと答えられなかったでしょう。

私には「叱られない」ことしか頭になかったのです。

また、周囲の争い事が何より嫌でした。

父と母は、よく「おでかけ」のことで喧嘩をしていました。

今から思えば、ADDとアスペルガーの傾向を持っていた父は、仕事でくたびれ果て、当時唯一の休みだった日曜日はほうっておけば終日寝ていました。

そして、多動傾向のある母にとっては、これは我慢ならないことでした。

母には「こうあるべき家族の姿」があり、「休日は家族そろってお出かけをする」という固定観念から、父を急き立てていました。

私は正直、別にどこにも行きたくありませんでした。

車酔いが激しく、車に近づいただけで、排気ガスの匂いに吐き気を覚えました。

5分乗れば、そこから先は吐き気との戦いでした。

私も父と同じ、究極の出不精で、家が一番なのでした。

けれども、母をがっかりさせると思い、お出かけに異議を唱えることはしませんでした。

でも、父のことも気の毒に思っていました。

それより何より「お出かけ」の前には常に両親の揉め事があることが恐怖でした。

だから「お出かけ」の内容は覚えていません。出かけた先でも両親は何となく不穏な空気を醸し出しており、それをおさめるのは自分たちの役割だと思っていました。

車に酔ってフラフラでも、楽しいフリをしていました。それでその空気が少しでも良くなるなら・・・。

このあたりの「楽しい思い出」がどうしても出てこないのは寂しいです。

かろうじて思い出せる楽しいことは、近所の幼馴染とのいろいろな遊びでした。

それから、駄菓子屋さんへ10円玉を握りしめて買い物に行ったこと。

銭湯の帰りに、父と手をつないでスキップしたこと。
(「銭湯」も「スキップ」も血流が良くなることだから、二人とも珍しくハイになれたのかな?笑)

なんだかとりとめもない内容ですみません。

これを書こうと思ったのは、先日高校時代の友人と話していて、「あの時〜だったね」といろいろ話してくれることを私が全く覚えていなかったことにショックを受けたからでした。

その内容は、私が当時付き合っていた人とのそれはそれは楽しそうなエピソードだったから。

そして、私のような人は、辛かったり、緊張したり、焦ったり、そういう思いを記憶に強く残すのかもしれないと思ったからでした。

私は努力の成果もあったかもしれませんが、両親に叱られた記憶はほとんどありません。

けれど、自分の息子たちをこれまでひどく叱ってきました。

私と同じような傾向を持つ息子たちの「記憶」が気になります。

夫はマメな人で、数限りなく子供たちをあちこちに連れて行きました。

もちろん叱ってばかりの子育てではなかったし、楽しく過ごそうという思いはもってこれまで生きてきました。

でも、私と同じように、楽しかったことは記憶に残らず、ひどく叱られたことが澱のように残っているとしたら・・・

今から少しでも取り戻せるだろうか。

幸い、息子たちはまだ私のことを受け入れてくれる優しさを持ってくれています。

叱っていたとき、感情的に怒っていた時の私の形相や怒号を記憶から消し去ることはきっとできない。

でも、巣立った後に少しでも楽しかった時間が心に浮かぶように、今日からの日々を笑顔で満たしていきたい・・・今はそう思っています。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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posted by みずき at 12:40| Comment(21) | 大人のADD傾向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする