2013年07月07日

私の母はジャイアンだったのかもしれない

※この記事は、子どもの話ではなく、親のことが中心です。不快に思われる方は読まれないようお気を付けください。

のび太が小学校1年生の時に「パーキンソン病」その後10年近くたって、薬剤への過敏性・幻視から「レビー小体型認知症」と診断された母。

現在は精神病院に入院しています。(薬の調整のため2か月ほどの予定)

以前、父(父も「レビー」と言われています)が発達障害だったのではと書いたことがありました。

○ 幼くして両親を亡くし、親戚の家に預けられたが、大人しい性格なのになぜか「たらい回し」にされたという。おそらく何度指示してもいうことが聞けなかったからではないか。

○ 若い頃から寝言が多く、時には夢の内容によって立ち上がったり、隣の母を強盗と思って殴りつけたこともあった。(日頃は母には全く頭が上がらない)レム睡眠障害。うたたねが多く、休みの日は朝から晩まで寝ていた。

○ 少しおだてられると株などに手を出し、何度かだまされた。失敗から学べない。

○ (同じ職場にいた母曰く)仕事の取り掛かりが異様に遅く、午前中はエンジンがかからないようだった。皆が帰り支度を始めるころからエンジンがようやくかかり、一人で残業していた。

○ 母には全面的に頼り、執着があったが、娘の私たちにはほとんど関心が無いようだった。高校受験や大学受験も受ける一週間前くらいに「どこを受けるの?」と聞いてきたくらい。それも母に言われてだと思う。

○ よくうなされていたことからも、職場でいろいろあったのだと思うが、印刷会社で「箱の設計」が得意で、その点は高く評価されていた。他の誰もできないこの特技のおかげで父は定年以降も請われて仕事を続けていた。

○ 日頃はほとんど怒らない、おとなしい人だが、自分が非難される(母から)場面になると大声を出していた。私の記憶ではこのようなことは30年くらいの間に10回くらいだったように思うが。

○ 味へのこだわり、やり方へのこだわりがあり、それは譲らなかった。

○ 食事の量など、欲求にブレーキをかけるのが苦手。(案の定糖尿病になった)

○ 趣味などほとんどなく、家にいるときはただテレビを見ているだけ、という感じだった。いかにもドーパミンが少ない、という感じの生活。仕事にだけは律義に休むことなく通っていた。

昭和10年生まれの父ですから、もちろん診断も受けてはいませんが、何らかの発達面での障害があった可能性が非常に高いです。

認知症とはいえ、「レビー」の場合はいろんなことをしっかり「わかって」います。ですから、二人とも特に記憶の点では年齢相応の物忘れ程度ですし、会話もかみ合います。

父の今困っている点は、運動能力が落ちすぎていること。腰が痛い、だるい。足がしびれる、体に力が入らない、というのが主訴です。前立腺肥大もあり、入院して以来運動能力の低下がひどくなりました。トイレの回数が多いのですが、すり足でかろうじて往復できる程度。本当はもっとリハビリなどすべきなのだと思いますが、デイサービスやショートサービスにも行きたがらず。まあ、わかりますけれどね。

で、問題の母。母の困った症状で検索していると、何度も何度もぶつかるのがこのページでした。
依存型ジャイアン
この中の「依存型ジャイアン(情緒障害型)を読めば読むほど、若いころから今に至る、母の症状そのまま、という感じです。

母も幼いころ結核で両親を亡くしています。非常に厳しい祖母に育てられ、兄ばかりかわいがられた、とよく母は私に言っていました。

自分が周囲にどう思われているかを敏感に察知し、とにかく「いい人のように思われたい」(「親がいないから」と言われたくなかったからすごく頑張った、と言っていました)という欲求が異様に強い。ですから、今でもヘルパーさんなどの前では非常に「いい人」です。

父(ADD?アスペルガー?)と妹に対しては、「自分の世話をするべき人間」という捉え方をしているようです。

若いころから「私はじっとしていられへんねん」とよく言っていました。

自慢のように「家事を忙しくしている自分」を家族にアピールしていました。夏には大汗をかきながら掃除や洗濯をし、その汗を必ず見せに来るのには閉口しました。

この「じっとしていられない」のは、今から思うと「多動」だったのではないか・・・。

それが今、自分が思うように動けないようになると、周囲へのひっきりなしの「命令」に変わっています。

往診医や訪問看護師、ヘルパーさんがいない時間帯、父と妹は休む間もなく「あれやって」「次はこれ」という指示に振り回されます。

そして、それぞれに細かいこだわりがあるため、ただ言うことをきく、ではダメなのです。

母の望むやり方でなければいけない。その時の表情にまでチェックがかかるそうです。

「なんでそんな嫌そうな顔してるの!?」
「薄情だ」「心がこもっていない」「もっと心配そうな顔をして」など・・・

確かに妹は以前母や私が必死で反対した人と恋愛関係になったり、結婚したりして、ストーカー被害やDVの被害を受け、実家には大変な負担とストレスをかけました。

ADD傾向が強い妹とジャイアンっぽい母は、昔からとにかくぶつかってばかりでした。

母の押しつけがましさに妹は耐えがたく、かといっていくら言い返しても、ジャイアンの母には勝てるはずもなく・・・

特に妹の反抗期前後(母の祖母が亡くなった頃からひどくなりました)からは、家には緊張感が常に漂っていました。

妹もつらかったとは思いますが、人があらそう雰囲気や怒号が耐えがたいほど怖い私は、調整役に回ってきました。

自分自身のこともADDでいっぱいいっぱいでした(当時はパニック障害や過敏性大腸炎でした)が、いつも黙って母をにらみつけていた妹と、その態度にキレまくっていた母の間で、自分の反抗期どころではありませんでした。

母は私のことを「みずきちゃんは育てているとき何の苦労もなかった。それどころか、先生にも周りの人にもいつもほめられて、いい思いばかりさせてもらったよ。」と言います。

しかし、妹に対しては「○○ちゃん(妹)は勉強には興味がなったみたいやし、みずきちゃんと比較なんかしたことがない。自分はお兄ちゃんだけかわいがられてたから、そんな思いさせたくなかったから、平等にしようと気を使ってきた。同じように育てたのに、なんでこんなに違うんやろ。
ストーカーのことでも、離婚のことでも、あんなに「やめとき」って言ってたのに・・・。
お母さんがこんなになった始まりは、あの頃からやった。
○○ちゃんももう少しそれを思って介護してくれたらいいんやけど、なんであんなにブスっとして、嫌そうにやるんやろ」という思いが強いのです。この言葉を数十回聞かされています。

妹は妹で、極力昔のことは考えないで、自分なりに一生懸命やっている、と言うし、確かに夜中や早朝に毎日のように呼び出されても、姪っ子を置いて実家に行っているし、(バイクで5分ほどの距離ですが、その後自宅に戻り、これもADD気味の姪を学校に送り出しています。そしてその後また呼び出されるのです)こだわりの強い買い物要求(これは●●というメーカーやブランドしかだめというもの)にも必死で応えています。

それでも母の要求はエスカレートし、とどまるところを見せませんでした。

父には「頼りない人やったけど、私と結婚して、これだけの生活もでき、財産も残せた。私と結婚してなかったら、ここまでにはなれへんかったはず」という思いがあるようです。

父は若いころから、ほぼ母の言いなりでした。ですから、今も母のしもべのように介護しています。

どうしても同居だけは避けたい(私も避けたほうがいいと思っています)妹がいない夜中も母は交感神経の昂ぶりから眠れず、父が命令の相手になります。

父はほぼ寝たきりに近いくらい動けないのに、母からの命令でフラフラになりながらトイレ(一晩に10数回行きたがります)介助をしています。
もともと眠りが浅く、その分睡眠時間を確保しないといけない父は、最近母が自分を呼ぶ声がすると、動悸がして、苦しくなると言っています。

私も高速を使って往復2時間かかりますが、仕事の合間をぬって通いました。

それでももう父も妹も限界でした。

往診医は精神科の医師で「今は飲んでいる薬もお母さんの症状には合っていない。(とにかく「痛みの訴え」がすごいのです。今は「身体表現性障害」という病名がついています)薬の処方を大胆に変えていきたいが、少し変えても変えたことで痛くなった、なんとかしてと大騒ぎになる。思い切って違うアプローチを考えているから、この変更は病院の管理の中で行ったほうがいい。ご家族ももう限界でしょう。特にお父さんは少し休ませてあげないといけない」と言われました。

認知面では問題なく、ヘルパーさんにも痛みはあるが、「どこが認知症?」と言われるような母を、精神病院に入院させることには正直迷いがありました。

私が見学に行き、2時間ほど担当の先生から家族カウンセリングを受け、状況を客観的に報告しました。

担当の先生はとてもじっくり話を聞いてくださる若い女性の先生で、病院もどちらかというと減薬のために入院される方が多いことで知られたところなので、少し安心することができました。

しかし、やはり鍵を二重にかけられた入院棟の中には拘束ベルトのついたベッドなどもあり、「みずきさんのお母さんにはまず使うことはありません」とは言われましたが、なんとも心がつまりました。

肝心の母ですが、これが意外と前向きに入院を受け入れてくれました。

後でトラブルになったら、父と妹がますます大変なことになるので、見学で見たこと、聞いたこと、どういう病気の人がどんな割合でいらっしゃるのか、拘束ベルトの話もしました。

けれど、拍子抜けするほどの感じで「でも、このままやったら痛みもおさまらへんし、お父さんや○○ちゃんに迷惑かけ続けることになるしなあ。がんばって良くなって帰ってくるからな」とまで言ってくれました。

私の家には何度か誘ったとき、「今更しらん町で暮らすのは嫌や。それにこの苦労して買ったマンションが気に入ってるねん。ここがいいねん」と言っていた母ですが、私の家で預かって、精神科に通うのはだめだろうかとも考えていたのに。

また、母は、昔から「介護は○○ちゃん(妹)にやってもらう」といつも口にしていました。人を役割的にとらえる面があり、「みずきちゃんは自分のプライドを満たしてくれる人。バリバリ仕事を続ける人(男の子に生まれたらよかったのにねえと何百回も言われて育ちました。今も私は自分が女であることを否定的にとらえる傾向があります)」「○○ちゃんは美人やし、結婚して幸せになってお母さんを介護してくれる人(小さいころから反抗されつつも異常なくらい妹に執着が強いのです)」という確固たる考えがあり、それは今更崩せないのです。

入院して約2週間。見舞いは場所の関係もあり、また医師から父と妹との接触を少なくしたほうがいいとのアドバイスもあり、私が通っています。

感情の波が激しく、こんなところに入ったなんてと涙を流したり、また妹への思いがあふれて愚痴をこぼしたり、帰りたい気持ちを訴えたり・・・他の入院患者さんのことを報告してくれたり・・・

私と接するときには痛みもあまり訴えず、昔の母の感じなのです。

発達障害のあるメンバーがそろった家族の人間関係は本当に難しいです。

母も昔は性格の問題かと思っていましたが、障害だったのかもと考えると、自分でもどうしようもないのかもと思えてきます。

退院時の妹との関係がこれからどうなっていくのか、病院で家族カウンセリングもしてくださるとのことなので、今までそれぞれが抱えていた問題を私も含めてオープンにし、改善していけるきっかけになれば・・・と願っています。

ものすごく難しいとは思いますが・・・。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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posted by みずき at 10:39| Comment(4) | 今から思えば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月05日

入試中に音楽がエンドレス

昨日のブログにも書いたのですが、いつか定期考査中にも集中力が途切れて、数分間ぼ〜っとしてしまい、最後の方の問題まで手が回らなかったのび太。


「考査中に〜!どんっ(衝撃)オイオイ・・・ふらふら」なんて思っていたのですが、実は私、高校入試中にとんでもないことがあったのを思い出しました。


当時、「クリスタルキング」の「大都会」(思いっきり歳がバレバレですがたらーっ(汗))が「ザ・ベストテン」(これも若い人にはわからないだろうなあたらーっ(汗))で一位に輝いておりました。


私はこの歌が大好きで、通学中でも心の中にはこの音楽がずっと流れていて、一人のときなどは小さな声で口ずさんでいたほどでしたカラオケ


これくらいですめば、いい思い出だったのですが、ナント入試当日。1科目目から最後まで、頭の中にはこの「クリスタルキングの大都会」がエンドレスで流れていたのですがく〜(落胆した顔)

我ながら、びっくりしましたし、当時は過呼吸発作や自家中毒なんかもやらかしていたくらい、精神面でも問題がありましたから、半ばパニックになっていました。


どうやったら、この音楽が止まって、入試問題に集中できるのか・・・でも悩んでいるヒマなどありません。


問題をどんどん解いていかねば・・・。


結果・・・何とか合格は出来たんですが、今から思えばよく受かったなあと思います。


集中したくても集中できない脳


自分もしっかり経験済みでしたふらふら

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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posted by みずき at 10:54| Comment(6) | 今から思えば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月23日

「思い」が伝わらない

乳児から幼児まで、保育所では毎朝大泣きだった長男。
組の中では一番の古株なのに、他の子たちが保育所に慣れて、朝お母さんと笑って「バイバイ」している傍で、毎朝火のついたように泣いていました。

思えばこの頃に何らかの障がいを疑うべきだったのでしょう。

私の仕事での帰宅が毎日深夜だったため、接する時間が短いためだと思っていました。

もちろん、それも大いにあったのだとは思うのですがたらーっ(汗)

先生方に相談しても「10分ほどしたら、けろっとして遊んでいらっしゃいますよ。大丈夫、大丈夫!」との言葉でほっとはしていたのです。

しかし、今思い返すと、年長近くになってさすがに泣かなくなってからは、それ以降のび太が泣いた記憶がありません。

ADDの傾向に気付いた半年ほど前までは、

基本的な生活習慣を毎日言わないとできない。(もちろん紙に書いて貼ったりはしていましたが、それでも駄目でした)

服を着替えるなどの作業を始めても、集中力が続かず、途中で違うことを始めてしまう何をしていたのかを忘れてしまう

忘れ物・失くしものが異常に多い

などなどで、毎日それはそれはきつく叱り続けていました。


極力冷静に話して聞かせていたつもりです。

それでも1週間に1度くらいは中爆発、1か月に1度くらいは大爆発を起こすのを止められませんでした。

それほど、何をどんなふうに言っても、のび太の生活には何の変化もなかったのです

中学生や高校生と数多く接してきたのですが、ここまで「話が通じない」というか、「思いが通じない」子どもには出会ったことがありませんでした

そして、のび太はどれだけきつく叱っても、一滴の涙もこぼさなかったのです。
泣いても泣いても自分を置いていく母親に、心を閉ざしてしまったのか・・・。

私よりもADD傾向が強い妹も、母に叱られても全く涙をこぼしませんでした。

「涙」が心のバロメーターというわけではないのかもしれませんが、のび太の表情からは私の言葉にある「思い」は全く通じない、そういう無力感が常にあります。先日、テレビを見ていて、はっとしたことがありました。

「目撃!日本列島」という番組で、福岡県のあるガソリンスタンドで非行歴のある少年を多く引き受けている店長さんの「ここでやり直そう 非行少年”更生”のガソリンスタンド」というドキュメンタリーを放映していました。

この店長さんが、本当に素晴らしい方で、少年院から出てきたばかりの少年の居場所を作り、常にスキンシップと辛抱強い声かけをされることに努めていらっしゃいました。心から頭が下がる思いで見ていました。

多くの少年・少女たちは、この店長さんの思いに触れ、時には責任ある仕事を任され、それを乗り越えていくことによって自信をつけ、いきいきと働いていました。

その中に1人、「この子はADDなんじゃないかな」と思う少年がいました。

お客さんへの「礼」の仕方を教えて「ハイ」と言っても、その直後に忘れて失敗してしまう。他にも何度言っても細かいミスが直らない、ということでした。

遅刻や無断欠勤が多い。
(一度店長が心配して家に行ったのですが)部屋の中の状況から空間認知等に問題を感じた。(親から送ってきた荷物の入ったダンボールを部屋のど真ん中に置いているなど)

店長は家から少年のために電子レンジを持って行き、一緒にちゃぶ台を囲んで食事をしておられ、心から「ここから、がんばろうな」と温かく話しておられたのですが、保護観察処分が終わった日に、突然少年は職場に来なくなり、行方をくらましてしまったのです。

店長は心配し、携帯に電話をかけ、毎日のように住んでいたアパートに置手紙をおいておられました。

最後の場面では、数ヵ月後にやっと少年は店長からの電話に出るようになったことが描かれていました。

店長は心から喜んで、一言も叱ることなく「これからも店長の電話に出てくれよ。ありがとうな」と言っておられました。

彼は電話口でどんな表情や思いをしているのでしょう。

それでも、店長の話しぶりを聞いていると、心からの謝罪をしている風でもありませんでした。

何とも胸が締め付けられるような思いがしました。

店長さんは何も悪くない。少年がADDだとしたら、彼が悪いわけでもない。

でも、こんな風に周囲をがっかりさせたり、心から何とかしようとして下さる方の思いが通じないとしたら・・・

のび太が人の「思い」を知り、その「思い」に応えようと努力できる人になれるようにするには、どうすればいいのだろう・・・

この番組を観て以来、随分気持ちが落ち込んでしまった私なのでした。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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posted by みずき at 09:08| Comment(2) | 今から思えば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする