2017年08月02日

それぞれの日々〜youの場合〜

大学生になって4カ月。

youも頑張っています。youとしては頑張りすぎてるかもしれません。本人はそう思っていないでしょうけれど。

とはいえ、私の考えるハードルは低いです。

youは結局、のび太と同じく、バイトもクラブもしていません。

「普通」の感覚ですと、大学生でこういうことを入学して夏休みに入ってもまだしていないなんて「ちょっとヘンなんじゃないの?」と思われると思います。

youはのび太とは異なり、発達障害の相談や診断は受けていません。本人に拒否感が強かったものですから。

ただ、非常に軽度だとは思いますが、感覚的な過敏さ、迷走神経の問題などの生きにくさを持っていることは確かです。

遊びに行く友達までは作れなかった高校時代でした。学校で雑談する程度でした。

今は、系列高校からの大学ですので、高校時代から継続した友人と遊びに行ったり買い物に行ったりはできるようになりました。

家に帰ったらほっとしているのは思いっきり伝わってきます。

でも、友人とちょっと遠出したり、食事に行って帰ってきたときのyouは少し自信をつけたような感じです。

私はもちろんとても嬉しいのですが、反面「無理していないだろうか。頑張りすぎなんじゃないだろうか」と思ってしまいます。口には出しませんが。

バイトも周囲の友人はものすごく頑張っているようで、毎月10万円以上稼いでいる子も多いとか。

「稼いでいない」自分は何か欠けていると思っているようですが、youの許容量は今の生活でもういっぱいいっぱいだと思います。本人もわかっているのか「来年から友人と同じ場所でバイトする。頼まれてるから」と言っています。「ああ、そうなの」とだけ言っています。

先日試験が終わってほっと一息。

9月後半までの長い長い夏休み。

何かやろうかと思い始めたら、応援はしようと思います。

そうそう、今日は久々にのび太が「やらかし」ました〜!

それはまた後日記事にしますね〜。

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posted by みずき at 14:48| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月22日

それぞれの日々〜のび太の場合〜

のび太、大学3回生。

毎日大学に通っています。自動車教習所ものんびりですがなんとか進んでいるようです。
やはり先生も含めて周囲に自分と少し似たタイプの人が多いので、自分の特性をあまり「特別」「変わったもの」とは思わない環境で、気が楽みたいです。

3回生ですので、もうその後の進路も考えなくてはなりません。

一般企業での営業など、あまりイメージがわかないのび太です。

できれば収入が少なくても、本人の特性に合った仕事につければと思い、親としては大学院も視野に入れているのですが、のび太は就職を考えています。

なぜかと聞いてみると「自分はいろいろなことを並行してやることが記憶も弱くて難しい。実験や研究ではそういうことがとても重要なので、自分に向いているとは思えない」と。就職ももっとそういう側面あるけどね・・・。

夏からはインターンシップのような職場体験なども始まります。

その中で自分に合った道を探していけたらと思っています。

私もそうでしたが、大学あたりまではそれほどでなくても、仕事を始めて多くのことを同時に要求されたり、予想外のことがいきなり入ってきたり、自分の努力だけではどうにもならないことが出てきたときに、その特性からくる問題が噴出してきます。

今は穏やかな日々でも、いつまでも続くとは限りません。

社会に出るまでに目指しているのは

〇 自己肯定感を確立させる、ただただ、それだけです。

「自分はやればできる」という経験を積むこと。できれば一つでも数多く。

一度にいろんなことはうまくできないのび太です。

1,2回生ではまずは大学に慣れること。通学、諸手続き、授業、食堂利用、先生や友人との付き合い方を学びました。

3回生になった時、やっとそれらが自分なりにうまくできる自信がついたようで、自動車免許取得をしたいと言ってきました。(私からは一切言いません)

結局、大学でものび太はクラブやサークルには参加しませんでした。

実験などが7時過ぎまであり、家まで2時間ほどかかりますから、無理する必要はないと思っています。

大学で後輩の実験手伝いのバイトのみしています。

1回生から頻繁にある実験で、同じチームの人たちと役割分担したり、発表の練習をしたりの繰り返しで、コミュニケーション面はかなり鍛えられたようです。

解毒がうまくいかず、疲れやすい子たちです。

家ではとにかく休ませています。

たまには友人と遊びに出るようになりましたが、町の喧騒が苦手なようで(聴覚過敏?)「楽しかったけど、あの音だけは・・・疲れた」と言っています。

これからは少しずつ社会との接点を持っていくことになります。

今は家が安らげる場所になるように、ただただ、聞き役に回っています。

会話の中身は他愛のないこと。飼っている犬、ウーパールーパー、エビ、カエルの話など。

嬉々として話すのび太との大切な時間。小さい頃、ゆっくり話を聞いてやれなかった、叱ってばっかりだった子育ての楽しい時間を取り戻したいと思います。

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posted by みずき at 11:55| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月29日

取り返しのつかない先送り

前回の記事の4日後の朝、母は亡くなりました。

前日の夜、二男のyouの中間考査が終わり、お弁当作りが始まるため、それまで1週間病院に泊まっていたのですが、一度家に戻り、たまった家事などをしてから来ても大丈夫かと看護師さんに訊いてみました。

「楽観視はできませんが、一応小康状態になりましたので、もう泊まらなくても大丈夫だと思いますよ。長丁場なので、家族さんの健康やご家庭のことも大切ですから、明日からはお見舞い時間に顔を出していただくだけで十分だと思います。」とのお言葉でした。

お言葉に甘えて久しぶりに布団で眠り、朝お弁当を作って家族を送り出したあと、車を飛ばして母のもとへ行ったのですが、明らかに昨日よりも「落ちている」感じがしました。

時折、呼吸困難になり、目を大きく見開いたり、下顎呼吸に近いような様子が見えます。

妹の負担を軽減するため、二人で交互に見舞うことにしていたのですが、妹にも急きょ来てもらうようにしました。

医師にも「明日までもたないかもしれない」と言われ、親せきや母の友人、病院の隣のお世話になった老人ホームのケアマネさんにも連絡を取りました。

結局、その夜は妹も私も母に寄り添い、好きな歌をタブレットで流しながら歌いました。

テレサ・テンやダ・カーポ、美空ひばりや石川さゆりの歌など、母の十八番を妹と二人で歌いました。

目は閉じたまま、酸素マスクをした母は、もちろん歌うことはできませんでしたが、私たちが歌うと様々な数値が少しましになりました。

母は家族への執着が非常に強く、それがかえって「家族が面会に来ると痛み発作が出る」ということにつながっていました。

「さっきまで調子よかったんだけどね」

自分が行くと調子が悪くなると言われるのですから、私も次第に母のところに行くのが苦痛になっていたのが正直なところでした。

行った時が調子のよい時間帯であれば尚更、調子が悪くならないようにとそそくさと「じゃあ、お父さんの病院に行ってくるよ」と理由をつけて引き上げていました。

母は私たち以外の職員さんや友人たちとは、CDをかけて一緒によく歌っていたようです。

先日、接し方を変えて母が最後まで機嫌よく過ごしてくれたその日、私は一緒に歌うために「唱歌ベスト」というCDをamazonで申し込みました。

これから、一緒に母と楽しい時間を過ごせるという確信が持てたからです。

でも、前回の記事通り、遅すぎました。

病院にはCDデッキを持ち込む暇もなく、結局このCDは母が亡くなった後、お世話になった施設にお譲りしました。

正直、父のほうは今でもいつ何があっても不思議でない状況です。

しかし、母はまだまだ「死」には遠いと思っていました。

亡くなる前日に家に戻ってしまったこと、仕方がないと思いつつも後悔しています。

まだまだ大丈夫だと思って伝えようと思っていたこと、やってあげようと思っていたことをずっと先送りにしていました。

「お母さん、ありがとう」
「お母さんは私たちの誇りだよ」
「苦労したね。がんばってきたね」
「お母さんの子供で良かったよ」
「産んでくれてありがとう」

意識の亡くなった母に、最期の呼吸が終わった後もずっと呼びかけ続けました。

母に届いたでしょうか。

今はまだまだ心の整理がつきません。

でも、亡くなる半日前くらいからは痛み発作はなく、何十年かぶりに熟睡しているように見えました。

顔中に刻まれた苦悩の皺もだんだん薄くなり、どんどん若返っていくようで、妹と驚きながら見ていました。

医学的にこのようなことがあるのでしょうか。

亡くなる1時間ほど前は皺がすっかりなくなり、すうすうと子供のような表情で眠っていました。

次第に呼吸の感覚が長くなり、止まったかと思うと私たちの呼びかけで戻り、を繰り返し、結局あくる朝の6時45分、完全に呼吸が止まりました。

文字通り、眠るような最期でした。

母への思いは複雑でした。

「私の母はジャイアンだったのかもしれない」



でもやはり喪失感は大きくあります。

私は小さいころ、母にあまりに執着しすぎて、母が死ぬことに異常におびえていた時期がありました。

夜中に起きだして、母が呼吸をしているか確認することが高校生くらいまで続いていました。

最期に見せてくれた昔の大好きだった頃の母にもう一度会えたこと、それこそが母が最後にくれた愛だったのだと思っています。

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posted by みずき at 10:44| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする