ゆずひこは全く手のかからない子どもでした。
赤ちゃんの頃から寝かしつけに苦労することもなく、病気もほとんどせず、勉強はあまりできませんでしたが「授業はいつもしっかり聞いているし、宿題も提出物もきちんと出しています」「どんなことにも真面目に取り組みます」「友達に優しく、目立たない仕事にも頑張って取り組みます」とどの担任の先生からも認められていました。
当然、叱られることもなかったでしょう。
朝は起きずに遅刻寸前に家を出たり、毎週のように担任の先生から「提出物が出ていません」と電話がかかってくる長男の「のび太」と両親の介護関係で奔走していた私にとって、ゆずひこが全く手のかからない子であることは救いでした。
実際、赤ちゃんの頃から思い返してみても、ゆずひこを叱った記憶がほとんどありません。
それをいいことに、私は子育てに関してはのび太にかかりっきりでした。
朝は起こすところから、朝食、学校への準備、忘れ物がないかのチェック、家を出るところまで、声を掛け続けなければいけなかったのび太。
いらいらして怒鳴り声をあげることは数知れずありました。
敏感なゆずひこは、私のそのような怒声やいらいらした表情が怖くて仕方なかったのでしょう。
彼の「手のかからない子」ぶりは、「母親からのび太のように怒鳴られたくない」という表れだったと今なら思います。
友だち関係も、ゆずひこ自身はあまり望んでいなかったようですが、周囲からは声を掛けてもらい、たまには遊びに行ったり(明らかに嫌々という感じでしたが)しており、その点でも心配していませんでした。ゆずひこは家で飼っている柴犬と過ごす方がずっと良かったと思います。
いろんな刺激にくたびれ果て、家に戻ればもうパワーは切れていたでしょう。かわいがっている柴犬(今も生きています)をなでて抱っこして、充電したかったのだと思います。
一方のび太は超マイペースなので、友だちから誘われても軽く断り、飼っている虫やメダカを飽きずながめたり、植物の種を取りに行って集めたり、近所の大きな公園の浅い池でヌマエビを採ったり、柴犬と遊んだりと好きに一人で遊んでいました。
これも今思うと素敵な過ごし方なのですが、当時のび太の将来にひどく悲観していた私は、遅まきながら小学校5年生で、本人が全く興味もなく望んでもいなかった「少年野球チーム」に有無を言わさず入れてしまったのでした。
のび太にとってはとんだ災難だったでしょう。彼の自由な楽しみの時間は、全く興味のない野球にとってかわられ、「チーム競技」という最も苦手なものをせっかくの休みの日に早朝から夕方までさせられることになったのですから。
それでも文句ひとつ言わず、ほぼ休むことなく2年間頑張ったのび太に、私は土下座したいほど申し訳なく思っています。子ども時代の貴重な時間を奪ってしまった。取り返しのつかないことをしてしまいました。
ただ、監督やコーチの方たち、チームメイトにはなぜかとても大切にしてもらい、最後までレギュラーになることもなかったのび太のために、引退試合まで別にセッティングしていただきました。
私も両親のことで奔走しつつも、土日は野球の当番でいろんなお母さんとも話したり、他の子どもたちとも交流ができ、素晴らしい経験ではあったのです。
のび太は昔から周囲の人にはとても好かれる子でした。場合によってはいじめの対象になりそうな「ちょっと変わった不思議くん」でしたが、有名ないじめっ子すら、のび太には優しくしてくれました。
私に似て運動音痴(脳と体の連絡がうまくいっていない)だったため、全く技能的には伸びなかったのに、監督やコーチもとても辛抱強く、優しく指導し、のび太のいいところをみんなに伝えたり、時には虫の知識について聞いて下さったりと本当に有難かったです。
しかし、この「のび太の少年野球」のために、この間、土日のゆずひこは「ほったらかし(放置)」になってしまいました。
ゆずひこは小さなころから野球には全く興味はなく、サッカーの好きな子でした。
自分がすることについては、家の庭でサッカーボールを蹴ったりする程度でしたが、海外も含め試合をテレビで録画して観たり、パソコンなどでゲームをしたりしていました。
ゆずひこに地域のサッカーチームに入りたくないかを念のためきいてみました。
でも、正直、私はゆずひこがサッカーチームに入ったら、保護者として、のび太の少年野球と両立できるとは思えませんでした。野球だけでもいっぱいいっぱいだったからです。
一切口には出しませんでしたが、敏感なゆずひこは感じ取っていたのでしょう。
「いや、自分がプレーする方には興味ないから」
私は本音ではほっとしていたと思います。地域のサッカーチームの保護者には、かなり派手で上下関係のはっきりした(ボスと取り巻きのいる)メンバーが占めていて、とても苦手意識があったこともあります。(昔からそういう女子グループが大の苦手でした)
そして、私はこのゆずひこのことばを免罪符に、土日は両親のこと以外はのび太の少年野球のことで動き回っていました。
つまりはゆずひこを放置していたのです。
それまでは柴犬を連れて年に何度か言っていたキャンプや旅行にも行けなくなってしまいました。
夫も悪気はありませんが、超マイペース人間なので、ゆずひこを連れて山にでも行ってくれるなんてこともありませんでした。
ゆずひこもまだ小学校3,4年生。孤独でつまらなかったに違いありません。
そして母親の関心が明らかに兄に向いているという思いもあったでしょう。
私がゆずひこなら、絶対そう思っていた、それだけの状況がありました。